大人と読書
2018.01.03コラム
“一億総白痴化”かつて大宅壮一という評論家がテレビメディアの黎明期にこのような言葉を発しました。テレビメディアが今後人々の知的活動に悪影響を与えることになるであろうと予測したものです。東北大学の脳科学の川島隆太教授らのグループが乳幼児に対するテレビの影響としては言葉の遅れが生じ、時に対人関係に障害が出る、という研究結果を出しています。
テレビ、インターネットなどのメディアによる情報は受動的に、一方的に入ってくるためにそれに対し自分で能動的に考えていく作業が欠落するためでしょうか?“最近の”とくくってしまうと問題があり、ご批判も出てくると思いますが、敢えて意見を述べさせてもらうと、最近の若者、また大人たちも含め相対的に幼児化しているような印象があります。「君たちはどう生きるか?」吉野源三郎の本が復刻され、漫画本にもなって今巷で評判になっているようです。私も世相に乗り遅れていたのですが、先日購入し読んでみました。児童書として書かれた本で、日本が第二次世界大戦に向け軍部が力を持ち始め、世論の統制が取られ始めた頃の話です。
原本を読んだ感想ですが、子供向けとは思われない、非常に考えさせられる内容でした。旧制の中学1年生が主人公になっています。旧制では5年生まで同じ中学生で、現代の中学と高校が一緒になったようなものですが、主人公が経験する様々な人間模様を、主人公の叔父に当たる人物が解説するという展開で物語が進んでいきます。人間のあり方、社会のあり方、人としてどうあるべきかを自分で考えさせる話が書き進められています。哲学の入門書的な位置づけでしょうか。しかし押しつけがましい所はなく、「こう生きろ!」という明確な方向性が示されているわけでもありません。その叔父が‘真実の経験について’語る場面では「君自身が心から感じたことや、しみじみ心を動かされたことを、くれぐれも大切にしなくてはいけない。それを忘れないようにして、その意味をよく考えていくようにしたまえ。」と物事の捉えかた、人生への考え方を自分の頭で、言葉で、考えることが必要であると叔父は説いています。作品の中には私も今一度考え直すべき、あるいは心に留めておくべき言葉が多く述べられています。この作品を現代版に翻訳した漫画本は同時に出版され人気を集め、これを読んだ若者が感動し、自分の人生の考え方に多少ならず影響を受けているようです。
若者の活字離れが指摘されるようになってきました。ある統計によると年間1冊も本を読まない大学生が3割以上もいるようです。この本は児童書として書かれたものですが、内容的には大人が読んでも十分に難しく、そして考えさせられる本だと言えます。児童書として書かれた本が大人である私が読んでも通用するのですから、やはりかつての日本人は現代に比べれば早熟で、“大人”であったと感じられ、現在よく言われている大人の幼児化の指摘はあながち的外れでもないように思います。テレビ、インターネットなどの一方的な溢れる情報に身を任せるのではなく、情報に対し、自分の意見を常に持って、自分が主体となって情報の分析を行う習慣が大切であり、読書など、自分が“能動的に働きかけ”知識を集積していく作業が重要だと思います。
脳には脳細胞とそれを関連づけるシナプスと呼ばれる接合部分が存在します。脳細胞自体は歳をとるにつれ萎縮、消失しその数を減らしていきますが、能動的に物事を考えることによりシナプス(ネットワーク)は広がりを見せ脳細胞は少なくなっても脳を活性化させることができます。つまり読書は認知症の予防にも大いに活躍するというわけです。私も本を読むことは好きなのですが最近やや遠のいていた感があります。この本を読み、改めて本の世界に戻ろうと考えるとともに、かつての“大人”のあるべき姿に近づこうと努力をしようと思っています。物事の本質に目をやる、物の意味を考える。自分勝手な価値観、好き嫌いだけで判断していく習慣を慎もうと考えています。
南谷クリニック副院長 南谷哲司